【安全】正常性バイアス

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 【安全】正常性バイアス
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過重労働防止対策が国を挙げての重要な課題であることは、昨今、社
会一般に認識されるようになりました。
過労死(脳・心臓疾患)や過労自殺(精神障害)を招くリスクがある以上、
当然のことと言えましょう。
しかしそのような認識に至ってなお、最も厄介なのは、リスクはリスクに
過ぎず、必ず具現化するとは限らないため、労使双方や労働者の家族は、
正常性バイアスを克服しなければならないことだと思います。
「正常性バイアス」とは、災害心理学等において用いられる用語で、人
が危機や異状に直面した際、現実を直ちには受け止められず、半信半疑
のうちに過小評価や楽観視をし、「まだ大丈夫」と思い込もうとする
傾向のことです。
状況が徐々に悪くなるような場合では、悪化の度合いが少しずつのため、
さらに顕著になると言われています。
本来は、人が物事に過剰に動じず、平静を保つための心の働きですが、
非常時にはこれが災いし、自然災害等に際して人が逃げ遅れる原因でも
あり得るとされています。
例えば、身近に働き過ぎの人がいたとして、労働者本人、その家族、
使用者、いずれかの当事者が「大分無理をして働き過ぎじゃないか」と
認識はしても、本当に倒れてしまうかどうかは計り知れないことで
しょう。
しかし、現実に無理し過ぎだと思える人がいたなら、正常性バイアスを
排し、やはり本当に休ませるしか、リスクに対処する術はあり得ないよう
に思います。
父の場合は私病でしたが、私もそうすべきであったと、身をもって感じて
います。
当事者がなすべきこと働き過ぎの人を止めるべき立場にあるのは、
真剣さの観点から、その人を大切に思う人の順ではないかと思います。
真っ先には、やはり働いている本人です。
無理だと思ったら躊躇わずベイルアウト(緊急脱出)しましょう。
往時の唄の文旬にもいわく、命のスペアはありません。
次いで家族でしょう。
無理があっても本人では決心し難いものです。
「そんな無茶な働き方は止めちゃいなよ。生活なんてどうにでもなるよ」
と言ってあげましょう。
労災認定されてから賠償請求をするのでは遅過ぎます。
最後は使用者です。
本人、家族との比較では相対的に後という意味です。
動機はコンプライアンスでもリスクマネジメントでも構いません。
敗訴や和解してから謝罪会見をするのでは遅過ぎます。
法律論以前のことではありますが、労使、家族のそれぞれが、各々の覚
悟に従い、自律的にリスクヘの対処を決めることも、また大切なことだ
と思われてなりません。
(中川コメント)
本日の記事は労働基準広報1923号に掲載されている
「わたしの監督雑感 過労死・過労自殺に想う」千葉東金労働基準監督署長
吉田明生氏の記事を一部引用しました。
命のスペアはありません。
従業員が大丈夫だと言っても安心してはいけませんということでしょうね。