定年後の継続雇用は週2日勤務とする

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[セミナー名] 退職金制度の見直し方セミナー
[資料等] 44ページ
[講 師] 中川清徳 中川式賃金研究所所長
[日 時] 1月10日(火) 13時30分~16時30分(3時間)
2月2日(木) 13時30分~16時30分(3時間)
[受講料] 26,000円(税別) 28,600円(税込)
[申込先] https://nakagawa-consul.com/seminar/004_web.html
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中小企業経営者のために語る

発行者: 中川清徳  2022年12月19日 VOL.5443

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身長197センチの大男・豊臣秀頼は本当に秀吉の子か?

続きは編集後記で

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定年後の継続雇用は週2日勤務とする
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Q
Aさんは来月定年となります。
Aさんは定年後も継続雇用を希望しています。
しかし、Aさんはミスが多く、総務の仕事はさせたくないので
週2日の工場勤務としたいのですが、Aさんは拒否する可能性が
あります。これはダメですか?


[結論]
ダメではありません。

[理由]
継続雇用はAさんの希望に合わせる必要はないからです。

(中川コメント)
定年で雇用関係は終了します。
継続雇用は新たな雇用契約です。
雇用契約は双方の同意で成立します。

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編集後記
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身長197センチの大男・豊臣秀頼は本当に秀吉の子か?

豊臣秀頼(1593~1615)は秀吉が57歳のときの子どもで、淀殿を
母として大坂城内で誕生した。
それまで秀吉には、大勢の欄室がいたにもかかわらず子がいなかった
ことから、「秀頼は秀吉の子ではない」という噂もささやかれた。
その原因の一つが、秀頼の体格である。
伝わるところによると、秀頼の体格は身長が六尺五寸(約197センチ)、
体重が四三貫(約161キロ)とされ、かなりの巨漢だったことがわかる。

戦国時代当時の日本人は、身長は五尺(約152センチ)もあれば
上等で、この時代に2メートル近い身長があったなら、さぞかし
目立ったことだろう。

秀頼が生涯で城の外に出たのは二回のみで、一回目は伏見城から
大坂城へ移るときで、二回目は徳川家康に接見するため二条城に
赴いたときである。

家康との接見は慶長16(1611)年3月28日のこと。
このとき、秀頼は19歳になっており、立派な青年大名としての風格を
備えていた。

一説によると、このとき家康は秀頼を見たことによって、豊臣氏を
打倒しなければならないと決意したともいわれるが、家康がそのように
思った原因には、秀頼の偉丈夫な体格があったのではないか。

つまり、堂々たる体格をもっ秀頼が、この先どのような手を打って
でてくるのか、家康は秀頼にあったとき、逡巡したであろうことは
想像に難くない。

秀頼の体格と、そのお膝元である大坂の活気みなぎる勢いが、家康を
追いつめていたともいえるのである。

ちなみに、「秀頼は秀吉の子ではない」という説については、当時から
俗説の類いがあった。父親としては大野治長説や石田三成説がある。
大野治長などは淀殿の寵愛を受けていたともされるが、巷の噂話を
鵜呑みにして書かれた可能性もあり、一概に信じることはできない。

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