65歳定年制の賃金制度セミナー
☆★☆――――――――――――――――――――――――――
社長、上司が「あの人はすごい!」といわれるピカイチ情報
労務管理に奇策なし!大企業20年、中小企業13年 人事労務
畑一筋で現場をはいずりまわった人事労務担当者が中小企業
経営者のために語る
作者: 中川清徳 2023年4月5日
――――――――――――――――――――――――――――
歌舞伎座もないのになぜ歌舞伎町?
(続きは編集後記で)
――――――――――――――――――――――――――――
[Web双方向セミナー]全国どこでもあなたの席がセミナー会場!
[題名] 65歳定年制の賃金制度セミナー
[対象] 経営者、総務人事部長、課長、人事担当者
[講師] 中川清徳(中川式賃金研究所 所長)
[配布] レジメ 25ページ
[料金] 21,000円(税別) 23,100円(税込) 人数不問
[日時] 4月21日(金) 13時30分~15時00分(1.5時間)
5月30日(火) 13時30分~15時00分(1.5時間)
6月29日(木) 13時30分~15時00分(1.5時間)
[申込] https://nakagawa-consul.com/seminar/137_web.html
または、下記にご記入のうえ、そのままご返信ください。
****65歳定年制の給与制度セミナー申し込み**************
社 名
役職名
氏 名
電 話
所在地
ご希望日時
***********************************************************
Webセミナーはご希望により日程調整が可能です。
メールでご相談ください。
――――――――――――――――――――――――――――
「給与を下げられた60代のやる気が落ちてしまった」
「退職金をもらった途端、すっかり別人のようになった」
「定年後、愚痴や批判ばかり口にする輩になった」
「困ったなあ、まだ頑張ってもらわないと困るのに…」
「60歳過ぎの処遇を見直す時期かもしれない。相談できる先は
ないかなあ?」
とお悩みの社長さんへ。
それ、私、中川が解決します。
高齢化が進んでしまった会社には「65歳定年延長」まで踏み込
んだ提案を行います。
65歳定年制を提案するのはこんな会社です
・若年層が少なく、募集しても入って来ない。
・平均年齢が高くて、45歳以上になっている。
・60代、70代の人が大勢いて、彼らなくして維持できない。
・60歳以上もみな勤務しているので、定年は事実上ない。
・60歳の定年退職で退職金をもらうので、もらった後に
“走りきったランナー”のようになってしまう。
・60歳で給与が大幅にダウンするので、モチベーションが
下がってしまう。
他では聴けない内容です。ぜひご参加くださいませ。
主な内容
1.定年を65歳に引き上げる
2.基本給は、60歳で引き下げる。
3.給与の低い人は1.0(最低賃金を意識)とし、給与の高い人
は0.7とする。
4.そのうえで「現役バリバリ手当」を払うことでメリハリを
付ける。
5.「仕事の内容」は、給与が下がったとしても従前と変える
必要なし。(同一労働同一賃金の対象外だから)
6.退職金は60歳でカウントをストップし65歳で払う
7.中退共の対応
セミナー参加者の声
「65歳定年制なんて考えもしていなかったが、会社側にも
メリットがあるとわかった。60歳過ぎの人に頼るほかないのが
我が社の現実。これから検討したい」
「65歳定年制にすると人件費が上がると心配していました。
これなら心配したほど人件費が上がらないので検討します」
「同一労働同一賃金への対応がチンプンカンプンだったが、
65歳定年にするとそれを気にしなくてよいことがわかり
検討したい。スッキリしました」
「求人難であり60歳で給料が下がる嘱託社員が辞めないかと
ハラハラしています。65歳定年は予防策になりますね」
詳しくは下記からご確認ください。
(セミナー申し込みもできます)
Webセミナー
→ https://nakagawa-consul.com/seminar/XXX_web.html
お申し込みをお待ちしております。
――――――――――――――――――――――――――――
編集後記
――――――――――――――――――――――――――――
歌舞伎座もないのになぜ歌舞伎町?
東京一、いや日本一の歓楽街といえば、新宿歌舞伎町でしょう。
聞いたこともない外国語が飛び交い、新手の風俗店が建ち並
ぶその様子は、まるで映画「ブレードラソナー」の世界へ迷い
込んだかのようです。
ところで、なぜここは歌舞伎町という名前なのでしょうか。
町の中心にはコマ劇場という大きな劇場があり、映画館も林立
しています。しかし、どこを見ても歌舞伎を演じるための劇場
などありません。それなのに、なぜ歌舞伎という名前になった
のでしょうか。
現在の歌舞伎町一帯は、以前は東大久保、角筈、三光町という
名前の町でした。戦後間もない昭和二二年、焼け野原になった
新宿駅前周辺を文化新興の町にしようという計画が持ち上がり
ました。
その目玉として計画されたのが、歌舞伎演芸場の建築でした。
そのため行政はここに歌舞伎町という名前をつけ、歌舞伎演芸
場建設計画を後押ししました。ところが、資金不足によって
計画は頓挫し、結局実現しませんでした。
それから三年後の昭和二五年舞伎町で東京産業文化平和博覧
会が開催されました。そのときに造られた施設がコマ劇場や
映画館などになり、現在の歌舞伎町の中心をなすうになり
ました。歌舞伎町の名前は、新宿周辺に住む人々の実現しな
かった夢だったのです。
(つい他人に自慢したくなる無敵の雑学 角川ソフィア文庫
より)https://amzn.to/34mdWvq
――――――――――――――――――――――――――――
メールマガジン社長、上司が「あの人はすごい!」といわれるピカイチ情報
☆発行責任者 有限会社中川式賃金研究所 所長 中川清徳
☆公式サイト https://nakagawa-consul.com
☆問い合わせ info@nakagawa-consul.com
☆バックナンバー https://archive.mag2.com/0000283000/index.html
☆登録・解除 https://www.mag2.com/m/0000283000.html
☆Facebook https://www.facebook.com/profile.php?id=100003506067345
――――――――――――――――――――――――――――