「常に率先して、前向きな心をもって物事に当たれ」

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労務管理に奇策なし!大企業20年、中小企業13年 人事労務畑一筋で
現場をはいずりまわった人事労務担当者が中小企業経営者のために語る

作者: 中川清徳  2013年6月15日号   VOL.1536
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全米一位になった 日本の「スキヤキ」

(続きは編集後記で)

 

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「常に率先して、前向きな心をもって物事に当たれ」

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豊臣秀吉(武将)

 ■「人はたださし出づるこそよかりけれ 軍(いくさ)の時も先がけ
                             をして」
    出所:「戦国武将名言録」(PHP研究所)

 冒頭の言葉は、
「常に率先して、前向きな心をもって物事に当たれ」ということを表して
います。

 尾張国の農民(足軽との説もあります)の家に生まれた秀吉は、成年す
ると侍になることを志し、今川家の家臣の仕官を経て、織田家に仕官しま
す。当時、織田家は織田信長(おだのぶなが)により、東海地方で大きく
勢力を伸ばしていました。

 群雄割拠する、世の中が乱れていた当時、武士にあっては体力に勝る者
が出世する機会に恵まれていました。こうした中、身長が低く非力な秀吉
は、頭の回転の速さと迅速な行動力をもってそれを補いました。

 信長に仕えた秀吉は、常に信長の望むことを察し、それを素早く実行し
ました。例えば、信長の居城であった清須城(清洲城)の石垣(土塀との
説もあります)が雨で崩れ落ちた際、修復がはかどらないため信長が普請
奉行(城の石垣の工事などを担当する役職)を叱責すると、秀吉が「自分
なら3日でできる」と修復を買って出ました。そこで、信長が秀吉に修復
を任せると、秀吉は崩れ落ちた箇所をいくつかに区切って人員を割り当て、
チームを作って各区間で速さを競争させました。これにより、各チームの
モチベーションが高まり、約束通り3日間で修復を終えることができました。

 秀吉の主君の信長は、家柄や過去の実績ではなく、その人物の才能のみ
を重視したといわれています。このため、秀吉の才覚を十分に認め、低い
身分の出身にもかかわらず、次々と抜擢を重ねたのでしょう。こうして、
織田家の中で次第に頭角を現していった秀吉は、その後も率先して信長の
ために働きました。

 やがて、信長は天下統一を目指し、1 万を超える大軍団を柴田勝家(し
ばたかついえ)、明智光秀(あけちみつひで)、滝川一益(たきがわかず
ます)、そして秀吉などの武将に預け、各地の平定に当たらせました。こ
のとき、中国攻めを命じられた秀吉は、播磨国(現兵庫県南西部)、但馬
(たじま)国(現兵庫県北部)、備中国(現岡山県)と攻め進みました。
この中国攻めで、秀吉は、軍師である黒田官兵衛(くろだかんべえ)とと
もに、調略(政治工作によって敵を切り崩すこと)、兵糧(ひょうろう)
攻め、水攻めなどを巧みに使い、次々と各地を平定していきました。

 しかし、こうした中、秀吉の元に悲報が届きます。主君信長が、京都の
本能寺で家臣明智光秀に討ち取られたのです。この報に接したとき、秀吉
は備中高松城にいましたが、敵の毛利家の大軍を前に、即座に軍勢を京都
へ引き返します。そして、わずか数日で京都に着き、山崎の戦いにて明智
光秀を討ち取りました。

 こうして信長の仇を討った秀吉は、織田家の実質的な後継者として勢力
を拡大していきます。そして、対立する柴田勝家を賤ヶ岳(しずがたけ)
の戦いで破り、東海地方の実力者徳川家康(とくがわいえやす)を下し、
ついには関白に就任して天下人となったのです。

 非常に低い身分の家に生まれた秀吉が、天下人と呼ばれるまでに立身で
きたのは、先のような頭の回転の速さと迅速な実行力に加え、飛びぬけて
前向きな思考のおかげです。秀吉は、戦場では常に自らが先頭に立ち、大
きな声で朗らかに家臣を鼓舞しました。こうした秀吉の姿に、家臣の士気
は大きく高まりました。

 そして、秀吉の口ぐせとして伝えられているものとして、
「よき夢を見するがな」
という言葉があります。

 これは、「周囲の人を楽しい思いにさせてやろう」という意味です。後
年伝えられているさまざまなエピソードからは、秀吉は、物事に当たると
き常に自身が楽しみ、そして周囲の人も楽しむように心がけていた様子が
みてとれます。

 楽しいことに対しては、人は前向きな気持ちになるものです。日々の仕
事の中に楽しいところが見つけられれば、それに取り組む際のモチベーシ
ョンは大きく高まります。

「自分が真っ先にやってやろう」という、良い意味での「抜け駆け」こそ
が、大きな成功につながるのです。

【本文脚注】
本稿は、注記の各種参考文献などを参考に作成しています。本稿で記載し
ている内容は作成および更新時点で明らかになっている情報を基にしてお
り、将来にわたって内容の不変性や妥当性を担保するものではありません。
また、本文中では内容に即した肩書を使用しています。加えて、経歴につ
いても、代表的と思われるもののみを記載し、全てを網羅したものではあ
りません。

【経歴】
とよとみひでよし(1537~1598)。尾張国(現愛知県)生まれ。織田信長
の下に仕え、後に天下統一を実現。< br />【参考文献】
(*)「戦国武将名言録」(楠戸義昭、PHP研究所、2006年7月)
「豊臣秀吉天下人への道」(歴史と文学の会(編)、勉誠社、1996年1月)
「戦国武将のマネジメント術 乱世を生き抜く」
(童門冬二、ダイヤモンド社、2011年3月)

以上(2013年6月作成)
※上記内容は、本文中に特別なことわりがない限り、2013年5月時点のもの
 であり、将来変更される可能性があります。

(中川コメント)

本日の記事は弊社が加入している中企団より提供されたものです。
お役に立てば幸いです。

今日はここまで。では、またあした。

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    編集後記      
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全米一位になった 日本の「スキヤキ」

 今も昔も圧倒的な輸入超過のレコード業界にあって、世界的に大ヒット
したのが、昭和三六年に坂本九が歌った「上を向いて歩こう」である。

 最初の輸出先はフランスで、坂本九がレコード会社に招かれて、この曲
を披露。次はイギリスで、この曲を気に入ったレコード会社の社長が、ジ
ャズトランペット奏者の演奏でレコーディング。このとき付けられた曲の
タイトルが「スキヤキ」である。

 この「スキヤキ」、一九六三年一月に全英ヒットチャートの10位にラ
ンクされると、次はアメリカへ。しかも、アメリカで発売されたのは、坂
本九自身が日本語で歌ったオリジナル盤だった。

 同年六月一五日、「スキヤキ」は、全米ヒットチャートの第一位に輝き、
三週連続トップに。日本語の曲が一位になったのは、史上初の快挙だった。

(雑学全書 光文社刊より)

では、また明日お会いしましょう!!

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