【DVD版】 拍子抜けするほど簡単な中小企業の賃金制度の作り方

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社長、上司が「あの人はすごい!」といわれるピカイチ情報
労務管理に奇策なし!大企業20年、中小企業13年 人事労務
畑一筋で現場をはいずりまわった人事労務担当者が中小企業
経営者のために語る
作者: 中川清徳  2019年8月2日
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心にビタミンいい話 志賀内泰弘
「『苦労は買ってでもせよ』と言うけれど」
~車いすダンスの普及に努める寺田恭子さんの話~
(続きは編集後記で 長文ですがお読みいただけると幸いです)
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  【DVD版】 拍子抜けするほど簡単な中小企業の賃金制度の作り方
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弊社の主力商品である賃金制度、一般公開セミナーを開催していますが、
各地から地元での開催はないのか?との問い合わせをたくさんいただ
きました。
忙しくて東京まで行けない、忙しくてセミナーに参加できない方のために
DVDを作成することにしました。
内容は公開セミナーと同じですが、時間の制約上、評価制度と賃金制度移行の
方法は省略しました。しかし、このDVDで必要な情報を入っています。
【DVD収録の内容】
 1.従来の賃金制度の落とし穴
 2.賃金制度を作る4つの定石
 3.賃金制度は仕事に合わせた仕組みにする
 4.家族手当や役職手当など諸手当の具体的な決め方
となっています。以上については一般公開セミナーと同じ内容です。
よろしかったら下記からお申し込みください。
→ https://nakagawa-consul.com/cd-dvd/dvd-11.html
または、下記にご記入のうえそのまま返信してください。
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「 DVD版 拍子抜けするほど簡単な中小企業の賃金制度の作り方」申込み書
社名
役職名
氏名
郵便番号
所在地
電話
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お申し込みをお待ちしております。
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    編集後記      
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心にビタミンいい話 志賀内泰弘
「『苦労は買ってでもせよ』と言うけれど」
~車いすダンスの普及に努める寺田恭子さんの話~
カッコイイ!車いすダンス
 桜花学園大学保育学部教授の寺田恭子さんは、障がい者スポーツを多くの
人たちに理解を求め普及することに人生を捧げてきました。現在、車いす
ダンスを楽しむ「車いすダンス名古屋ビバーチェ」の顧問を務めています。
 車いすバスケや車いすテニスは聞いたことがあっても、車いすダンスは
ご存じない人も多いでしょう。かくいう志賀内も知ったのは最近のこと。
映画のワンシーンで、車いすの人と健常者がペアを組んで一緒に社交ダンス
を踊るところを見て感激しました。身体にハンデがある人たちのスポーツを
見ると、どうしても「不自由なのに頑張ってるなぁ」と心のどこかに同情を
抱いてしまいます。ところが、それは「美しい!」「カッコイイ!」と声を
あげるようなものだったのです。
 恭子さんとの出逢いは、偶然にもその直後のことでした。
息子さんが、脳性まひと判明
 恭子さんは、筑波大学大学院でスポーツを通じた健康教育学を学びました。
その大学院でご主人と出逢い結婚。ご主人の故郷である愛知県に引っ越して
来ました。そして研究者を目指して大学の助手になりました。男の子を出産
し、幸せな家庭も築きました。
 ところが、その長男ユースケ君が、二歳の時に脳性まひであることがわか
ります。夫婦して、一気に不幸のどん底に突き落とされました。恭子さんは
泣き明かします。そして自分を責めました。「どうしてこんなことに?」
「出産の際、帝王切開していたら避けられたのかもしれない...」医師から
宣告されました。「治りません」と。生涯、一人で歩くことができない。
とうてい受け入れることもできず、失意の日々が続きました。辛いリハビリ
を嫌がるユースケ君に、「やらなきゃ治らない。頑張りなさい」と叱り続け
ました。
恭子さんの大きな決断
 さて、その翌年、一九九三年。恭子さんが、たまたま横浜で開催された国
際障がい者スポーツ学会に参加した時のことです。ドイツから来日した車い
すダンスの団体競技を観戦し感激します。
「美しい! 彼らには、車いすは道具ではなくて、『足』そのものなんだ。
その足で、いきいきと踊っているんだ」
と同時に、恭子さんの心に変化が生じます。心のどこかに、うっすらと
「障がいは良くないもの」という偏見・差別の意識があることに。それは、
ユースケ君の存在自体を否定することに繋がっていたのだと気づいたのです。
 それがきっかけとなり、「ユースケが障がい者であることを素直に受け
入れ、その後、どのように応援していったらいいのか」と前向きに考えられ
るようになったと言います。
 その時、恭子さんは大きな決断をします。「日本にも車いすダンスを普
及させよう」と。しかし、これには家族や周囲の人たちの理解が必要でした。
というのは...。当時は、子どもに障がいがあるとわかると、「母親は仕事
を辞めて、二十四時間三六五日付き添うものだ」という考えの人が多かった
のです。恭子さんが、「名古屋ウィールチェアダンス同好会」を一九九五
年に設立した時、ユースケ君は五歳でした。周囲からは、後ろ指を指すよう
な声もありました。でも、祖父母やご主人の応援を得て普及活動を続けま
した。
 その後、紆余曲折の変遷を経て、「車いすダンス名古屋ビバーチェ」の
運営とともに、全国の車いすダンスの団体のネットワークを作りました。
誰もが自分らしく生きられる社会を作りたい
 恭子さんに、「ユースケ君の世話と大学での教鞭を執る仕事。加えて、
車いすダンスの普及活動。相当心身ともに大変なことだと思います
が、ど
こからそのエネルギーが湧いて来たのですか?」と尋ねました。
すると、こんな答えが返ってきました。
「せっかく大学院で学んだので、研究を続けたいという欲はありました。
でも、それ以上に心の底から湧き上がるものがあったのです。障がい者は、
差別や偏見の中で生活しています。でも、思ったのです。ユースケが大人
になった時、その偏見が少しでも和らぎ、誰もが自分らしく生きられる住
みよい社会を作りたいと。だから... 自分の息子のためだけでなく、世の
中すべての障がい者の応援もしていきたいと思ったのです」
自ら苦労を買って生きる
 言うは易し、行うは難し。それはどれほどに茨の道だったことでしょう。
一九九八年の第一回車いすダンス世界大会での悲しいエピソードを伺い
ました。車いすダンスの演技が始まると、観客から「車いすで障がいを見
せびらかすな」というクレームが大会本部に寄せられたというのです。
また競技の最中に、恭子さんがパートナーの膝の上に一瞬だけ腰掛けると
いう振付があるのですが、その際にも「障がい者の上に人が乗るなんて
何事だ!」といういう怒りの声が...。次の演技では、その振付を変更せざ
るを得なかったというのです。
 もちろん、今では笑い話。でも、当時は、そのくらい「障がい者は外に
出すな」「見世物にするな」という考え方の人が多かったのです。
 「苦労は買ってでもせよ」と言います。でも、実際には誰も「買って」
まで苦労を背負いません。そんな中、恭子さんは自ら苦労を買って生きて
来られました。その功績は数字では表せませんが、車いすダンスを楽しむ
人たちは、確実に増えています。障がい者を街角で見かけることも多くな
りました。
 そして、そんなお母さんの後ろ姿を見て、ユースケ君も立派な青年に育
ち、障がいに理解ある良き伴侶と結婚し幸せな家庭を築きました。
苦い思い出のその先に...
 「野球がやりたいのに、なんで俺だけ諦めなくちゃいけないんだよ!!
なんでこんな身体に産んだんだよ!!」土曜日の昼下がり、食卓についた息子
が怒鳴った。用意したチャーハンは床に散らばり、時間が止まった。彼は
十六歳だった。
 息子はスポーツを専門に教える私達夫婦の長男。でも皮肉にも胸から下が
自由に動かない身体、脳性麻痺で生まれた。当時私は、私自身のアイデン
ティティを打ち砕かれた気持ちになり、絶望感を感じたこともあった。
しかし、"車いすダンス に出会って、自分らしく踊るダンサーの姿をみて
自分の生き方を再考した。
 その後、私は息子のチャレンジを全力で応援した。そのチャレンジの一つ
が野球だった。足を引きずり、健常児の中で懸命に野球を続けた息子。し
かし、それも年齢と共にあらゆる面で彼の限界を超えていった。私は、冒頭
の息子の言葉と態度にはさほど驚かなかった。来る日が来たという感じ。
でも頭の中は真っ白だった。その夜息子に、「事実を受け止め、自分のチカ
ラで生き抜いて欲しい」と伝えると、彼は無言のまま頷いた。
 あれから十三年。今息子は多くの人に支えられ、ユーチューバーという仕
事をお嫁さんと一緒に頑張っている。悔しい!という負の気持ちも、前向き
にいこう! と思う正の気持ちも、そのエネルギー量は等しい。だったら、
全て前向きのエネルギーに変えていこう! そんな私の思いを彼は受け入れ、
生き抜いてくれた。
 二〇一九年五月三十一日、息子が自身のツイッターにこう書き記した。
「二十九歳になりました! 今日は誕生日で障がいを負った日でもあります。
十代は戸惑いの多い人生でしたが、二十代後半でまゆみにも出会え僕は幸
せ者です!『寺田家TV』も全力でやります!! 母さん、産んでくれてあり
がとう!!」
 生まれてきてくれてありがとう...。 私達家族は、大きくバックスウィン
グしたおかげで、時間はかかったけれど、ホームランを飛ばせたのかな。
いつか必ず幸せはやってくる、そう信じて生きてきた自分にも小さく拍手!
※『寺田家TV』は、ユースケさんのユーチューブの人気番組名です。
(プチ紳士からの手紙 より http://giveandgive.com/)
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